2015年03月29日

さみしい部屋

 先日、映画『おみおくりの作法』を観ました。主人公はロンドンの市職員で、孤独に死んだ人の葬儀をするのが仕事。主人公は亡くなった方の部屋でその方の生きてきた痕跡を集め、彼なりのやり方で葬儀をするという、静かで美しい映像でした。
主人が不在の部屋はどれもとても悲しく、亡くなった方がどんなに孤独だったが見えてくる。とてもさみしい部屋なんです。そこで主人公はその部屋の主の人生を想像する…瀬戸内寂聴さんがおっしゃるように、想像力が愛だとすると、とても愛に溢れた映画でした。

この映画の中で私がもっとも心惹かれたのは、残されたさみしい部屋です。
故人の部屋は生活が荒れている様子が見えたり、飼い猫以外の誰との関わりもないことが部屋に残されたモノたちから分かったり、もちろんそれらも十分にさみしい部屋を構成する要素なんですけどそれよりも何よりも、主が不在の部屋、主以外の誰とも関わりのない部屋、誰からも見捨てられた部屋というのはなんとも言えず悲しい。

もしかしたら、私だけかもしれませんが、誰かの不在を感じるときはその人の居た場所が思い浮かびます。部屋を上から覗き込む感じで、映画の映像のように各部屋を俯瞰して見て回ります。
いつもいたあそこにいない、ここにもいない。
部屋の中は何も変わっていないんだけど、ただその人だけが居ない。それを見て、ああそうなんだ。居ないんだって実感した時にさみしさが頂点に達する感じです。

人がいた気配の残る部屋、さびれた観光地の廃墟になったホテル、廃業した店舗、かつてそこには人が集っていたんだろうなと思わせる気配を少し残しつつ、すでに誰からも見捨てられ、少しずつ朽ちていく様子が何とも切なく悲しい。

それらを目にすると、そこでどんな人がどんな風に生き、どんな風な時間があったのかと想像します。
出来れば、その部屋の一番輝いていた時、人に愛されていた時の様子を想像します。
なんだかこの映画の主人公の気分になってきました(笑)
私は残された部屋の弔いをする人。ちょっとそれは切ないなあ。

さみしさは想像力を育てます。
ひとり遊びがクリエイティビティの原点です。私のさみしさから生まれた想像力は、部屋から人を想像し、部屋と人の一番輝いている状態を見ることに使われています。
お蔭で今の仕事をしています。

あなたのさみしさから生まれた想像力は、なに使われていますか?




naturaldesignhouse at 00:05コメント(0) 
コラム:こころと部屋 

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